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ただの石好きyasumi の日常や好きなものの記録。

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あの頃の感覚がわからなくなる時

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yasumiです~。

様々に起こる事象をどう自分に引き入れるか?
それって、意識してないと流れちゃって学べないままになってしまうこと多い。

もちろん、それを選択してもいいのだけれど。


「自分に責任を取る」

ということが、わかっているようでわかってない、と思うコトがあって、
それを何とかコトバに落としたい、って思う。

ああ、そういえば、土曜日にまゆみさんにお誘いいただいて「ART&BRAIN」の体験会へ行ってきました。
その斎藤先生も言っていたけれど。

右脳で描く、というメソッドをそこでは教えていて、きっといいよ、ってずっとオススメいただいていて、やっぱり本当に良いと思いましたんですが、

右脳で描くということをしたときの、つまりはきっと潜在意識とつながったみたいな状態を、言葉に変換してアウトプットすることが、すごーく重要なステップ、だというようなこと。

それをね、したいわけなんですけども、たぶん「概念」のようなこう、形があるようでないもの、を掴んだ時に、それを具現化するパワーって計り知れないと思うし、出来たときの達成感もすばらしくあってですね、視界がパッと拓ける感じ、というのかな、、、そういうことを、常にしたのだけれども、なかなか、なんだな(笑)

それって、音楽家ならメロディで、画家であれば絵で、小説家なら物語で、、、表現され昇華されていくような類のことですよね。

すでに書いてる内容、意味不明な方向へ行ってる気がしますけどね(笑)


やっぱり私はどちらかというと「感覚」で生きているヒトで、塊で受け取る、それを分解して意識レベルで理解できる形い落し込む、っていうようにして生きてきていて。

落し込めないと、経験として同じテーマが繰り返し起こる(つまりはそれはもっと大きな波になって。。)

そうか、責任を取るということは、落とし込むってことか。

そっかー、そうだったのかぁ~(笑)


ねぇ?こうやって作業していくこと、ってことだよネ?(誰?)


そうかそうか。
なるほど。


それで。

今日、先生が言った肝心な「一言」が言葉として思いだせない。

「これが言えたから今日はもういいや。」って確か先生は言ったね。


前後のくだらない(笑)ハナシはけっこう覚えてるんだけど。

ということは、それは私にとってかなり耳の痛い言葉だったということか。

だからね、ホントはわかってるのよ、体のどこかが。


今の私は、「苦しい困難な道こそ私の進むべき道」ばりに選んできた、あの頃の私の苦しさやもどかしさや焦りや涙は、今の私にとっては過去のまた過去でしかない。

すでにもう、違いすぎてしまって会えなくなってしまった人たちもいる。
もう合わないから、会わない。会えない。
人はそうやって別れも出会いも、繰り返している。

(逆説的には、そうやって次の扉が開かれて、会えるように導かれていく人もいるワケだよね。)

ただの友達ならそれでいい。
でも、それが一緒に歩んできた仲間なら、また違うお話。

「やすみがしっかりしないでどうするの。」

笑ったけれど、実際笑えない話。


ちょっとの違い、でも体感的には、すごい違い。


自分が通ってきたどこかの地点で悩んでいる人がいるのなら、その人が前進することをもし、後押しすることを許されるのなら、私はその「地点」へ戻っていくことでしかそれを達成できない。


ステップアップしたいと願い、今の私から脱却したいと足掻き、手に入れたもの。
今の私のこの楽ちんさ加減(それはもっと加速するのだけれども)のありがたさとか、そういうものをどう受け取っていくかとか、今重要なのはそこ、私がさせてもらえることは何なのか、そしてそれが私が望むことなのか、見極めること。

そうやって置いてきた過去の「私」たちに、立ち返ることはなんだか負けみたいだよね、と皮肉に私が言う(笑)
散々向き合ってきた、脱却したい自分の弱さとか、そんなものたちにまた会いたいと思わないでしょ、って。

だけどそれをしなきゃいけない時、があるんだよと、先生は言った。

確かね。


いえ、それは本当のことであって。
そうするように、運命づけられている(とわざと言ってみる笑)気がする。


そうこうしているうちに、11月11日は何かの区切りを感じた。
そしてすでに「次」がスタートしていることも。。。

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